桐高同窓会質問掲示板
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  [No.77] Re^3: 100年誌発行について 投稿者:同窓会事務局   投稿日:2009/09/24(Thu) 13:26:50

木本氏より返信内容を文書でいただきました。
以下に掲載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 100年誌刊行について質問が有りましたので、お答えします。
私は、S34年卒の木本富雄です。刊行委員会の委員であります。

@以前刊行された「校史」の資料は、返還されたものを除き、まだ借りているもの預かっているもの等含め、恐らく段ボール20箱分位あります。それらについての資料のデータベースは有りません。
 100年誌刊行委員会は、それらをすべて引き継ぐ形になりますが、資料のデータベース化を最初に行う予定は有りません。それ以前の問題です。
まず、学校側と相談し、資料の散逸を防ぐための資料室の提供をいただき、資料を運び込み、後に整理・整頓の作業にとりかかる予定です。この作業は、後の100年誌刊行に深く関わりますので、刊行委員会のスタッフで進めていきます。単純に右から左へ片付けるだけなら誰でも出来ることでしょうが、そう簡単なことではなく、長期間かかると考えられます。
 ですから、現在在籍の生徒の協力を得て実施することは考えていません。また、もし質問者が協力を申し出でたとしても、お断りします。仕事というのは
なによりも信頼、チームワークを基本としてます。
資料のデータベース化は、整理・整頓作業ならびに100年誌編纂のための調査等の過程で、一部分は出来るでしょうし、しなければならないでしょう。
しかし、それを最優先にして行うことはありません。このことは資料の「隠蔽」ということとは、全く無関係のことであります。

Aご質問の中に、「裏面史」とか「公開できないような出来事」云々ということがありますが、
 これにつきましては、どのような事を具体的にさしているのか、「公開出来ないような出来事」の資料とは一体どのようなものなのか、全く質問者の想定する内容について、判断も出来ず理解に苦しむところであります。
 刊行委員会で収集する基本的資料は、すべて生徒や保護者に対して配布された例えば、学校新聞 生徒会誌山紫、図書委員会刊行の汗牛、運動会文化祭のパンフ、修学旅行の案内、進路ニュース等々であります。その他基本的な資料として学校の作成する学校要覧、学校案内等、更に、桐中・桐高に係わる県立文書館・県立図書館、桐生市立図書館等で公開・閲覧・コピー可能な書物、冊子、新聞等の記載・記事の収集であります。
 すべて公開されている資料に基づいているわけですから、「公開出来ない出来事」とか「裏面史」とか、さらに、そうしたものを整理云々することが、刊行委員会の「義務」であるとのご指摘は、誠に理解に苦しむところであり、質問者から「義務」だなどと言われる筋合いは一切ありません。一体、あなた様は
何様なのでしょうか。
 また、「裏面史」ということを、一般に言われているような意味合いで捉えたとしても、100年誌は、「裏面史」を目的としたものではありません。もし「裏面史」や「公開できない出来事」に興味があれば、ぜひそれは個人で取り組んでいただきたい。
 さらに「消された歴史」などと人聞きの悪い文句が登場しますが、あたかも刊行委員会なり、同窓会が何か重要な資料を隠蔽しているかのような発言でありますが、一体何を言いたいのか全く理解しがたいことであります。もし「消された歴史」とやらに興味があれば、これまた個人で調査、研究し、執筆、刊行し世に問えばよいことでしょう。「消された桐高史の真実」とか銘打って出版してください。我々刊行委員会は、読ませてもらいますよ。

 なお、「裏面史」なるものが、一種のエピソードに属するようなものならば、
同窓生と会い話をしていれば、沢山でてくるのが普通であります。また、非行と言う範疇に属するものも笑い話として出てくる場合もあります。しかし、個人的な会合などで出てくるのは、たかだかそれまでであります。なんの裏付けもなく、公とされる記念誌に正面からとりあげるべき事柄でもありません。
しかし、社会的に問題となり新聞(学校新聞ではありません)などに報道された事柄もあります。それらは、地道に100年も前からの新聞を調査し、編纂の過程で取捨選択していくつもりです。
これも興味の有る方は、市立図書館の新聞を大正6(1917)年から一枚一枚めくって探して下さい。もちろん我々スタッフは、学校関連記事を日々調査しつつあります。しかし、それらを資料化して、逐次公開していく予定は、まったくありません。活字にして100年記念誌に結実させていくだけであり、私たちが、日々調査し資料を収集している事柄を、いちいち同窓会のホームページに報告していく必要も義務も責任もありません。質問者がかってに、こちらの「義務」だと断定してもらいたくありません。

B現在資料収集についての呼びかけは、具体的には桐中時代については、大正12年頃創刊された、現在でいう生徒会誌「校友会誌」、その1号から4号、9号です。
 桐高時代に入り、「桐高新聞」の昭和20年代から30年代に発行された新聞です。桐高新聞は100号の縮刷版が昭和55年に刊行されていますが、欠落している部分を探しています。
 あとは、一般的な資料提供の呼びかけであります。
それは、聞くところによると、すでにパソコン上にも存在しているということです。
しかし、呼びかけているだけではありません。
例えば、昭和29年春の修学旅行の日程については、30年卒の同窓生に連絡をとり、情報の提供をお願するという形で作業は進めているのです。
昭和48年から50年の三年間のマラソン大会の優勝者名が不明です。同窓会総会でも活字資料を配付しましたが、残念ながら情報はまだ得られません。
だが、関係するであろう同窓生を芋蔓式にたどり、事実に辿り着く糸口は、こちらの調査でつかみ始めています。
 昭和20年4月、桐中入学式の日にちが分かりません。何人かの同窓生に聞いていますが記憶にないようです。もちろん公式文書は、39年3月の火災ですべて焼失しています。しかし、中にはその頃の個人的日記を保管している人もいるという情報を得ていますので、遠からず確認できるでしょう。

 このように、資料の収集は、現在ピンポイントで一つ一つ資料を発掘し、あるいは、同窓生に接触しその方から更に同窓生の紹介をうけまた更に同窓生の紹介を承けながら情報収集しているところです。そうした資料・情報収集の一々を、パソコン上で公開していく考えは現段階ではありません。
 まあ、その内、この同窓会の掲示板を通して協力をお願いすることにもなるでしょうが、なにせその事柄がほとんど、現在60歳以上の同窓生に関する
ことですから、パソコン上を通して果たしてどの程度情報が集まるか分かりませんがね。
今までもパソコンを通しての資料提供の申し出では全くありません。
現在、質問者が盛んに質問箱だか掲示板などに意見等を掲載していますが、
まあ、いろいろな理由が有るでしょうが、その反応は無きに等しい状態であります。どのくらいパソコンを通して呼びかけることが有効かどうか?

いずれにしろ、質問者がいうような「裏面史」「公開できないような出来事」「消された歴史」という、意味の分からない情報収集、資料収集をやっているわけではありませんし、そのような資料の提供は、同窓生からこの1年半、有りません。質問者にとっては、残念なことでしょうが、どうぞ繰り返しますが、ご自分で収集して楽しみ、自らの責任で公開でもなんでもして下さい。

C取り敢えず、ホームページがどうのこうの、パソコン上での公開討論らしきものを希望しているらしいので、仕事として仕方がないので返答をいたします。しかも、質問者に失礼のないように、腰を曲げ、もみ手しながら恐る恐る回答を作っているところでございます。
同窓生の一人として本音で言えば、この類の質問なんかは相手にせず無視すればよいことかも知れません。
「自分としては、間違っていないと思う」「正面から批判して」とか言っています。
相当な自信、いやうぬぼれですかね? 或いは正義の御旗をふりかざす騎士ですかね? 文句があるなら正面から言えという意味合いのことは、よく使われる言い回しで、一種の恫喝ですね。違った面から言えば、一種の「甘え」、あれが欲しいこれが欲しいというだだっ子の「甘え」の裏返しでしょうか?
おそらく、パソコン上で、読んだ方の多くは、いやほとんど見てないでしょうが、意見を述べることをためらうことでしょう。いや、多くは無視するでしょうね。係わる義務も責任もありませんから。

こうした回答を作成するのにも大変な時間と労力がかかり、ましてボランティアでやっている小生にとり、かなりの負担であり、小生個人の重要な生活時間をとられ、いい加減にしてもらいたいと思います。小生の親しき、質問者と同世代の後輩たちは、「あんなものは、放っておけばいいんだ!」と忠告してくれていますが、まあ一度位は、パソコンとやらの画面上で陳述し、証拠を残したいと考えたわけであります。電話や面談では、ある意味「密室」でのことになりますからね。

さて、再び、腰をまげもみ手しながら、恐る恐る返答の続きをいたします。


D追伸になりますが、
 生徒会誌「山紫」は、1972年の創刊号から現在にいたるまで、すべて学校に保管されています。刊行委員会はそれらを学校から借用してあります。
質問者は、その第5号に投稿した小生の記事について触れていますが、そのようなものが存在するのは、先刻承知しています。感激したりするのは質問者の勝手ですから、どうぞ。
刊行委員会では、以前の「校史」編纂の時から「山紫」を活用しているということで、「公開できないような」資料でも何でもありません。重要な資料の一つです。閲覧する事も出来ます。ただし、現在は各パートのスタッフが自宅等に持ち帰り執筆の材料として使用していますから、直ぐに閲覧することは出来ないでしょう。
将来的には、学校に保管されている一部の資料については、図書館なりに置き閲覧できるようになるかも知れません。或いは同窓会の資料室のようなものが出来、事務的スタッフもおくことが出来れば、収集された資料の閲覧、コピー、貸し出しなども可能になるかも知れません。過日も、小生の恩師の手を通して、昭和23年文芸部創設直後の文芸誌「洋燈」の創刊号が発見されました。
今年度の同窓会の作品展にも展示されたところであります。相当痛みも酷く、コピーもとり保管してあります。
 また、同様に恩師のはからいで、52年卒の市川君の絵画一点が同窓会に寄贈されました。いずれ学校側と相談し、校内に展示されるでしょう。
こうした、資料や作品等をどのように保管し、同窓生等の閲覧に供するかということは、これからの課題でありましょう。全て人的、物的、金銭的な裏付けがなければ、出来ないことでしょうからね。しかし、それらは刊行委員会の仕事ではありません。
 さらに、こうした日常的な事柄が、パソコンの画面を通して情報提供されるようになるには、まだ同窓会の事務局が設置され始めたばかりですから、少しばかり時間がかかるでしょう。せかず騒がず期待して待っていますが、質問者は恐らく、気長に待っていられないかも知れませんね。

質問者は、檻の中、一匹で、せいぜい吠えているのが良いかも。ただ、吠えているだけでは、誰も近寄らないでしょうけどね。Good luck!
   


 更に 続きます

校歌について

 校歌についても意見だか質問だかが掲示板に有るということで、事務局で見せてもらいました。
 100年誌の刊行委員会の委員として回答できることを述べます。
桐中時代に校歌とされていたのは一番二番三番の歌詞があり、その二番がその後歌われなくなったし、学校の印刷物にも記載されなくなりました。
 それは、どのような経過を辿ってそうなったのかということです。
「桐生高校80年史」では、「第二次世界大戦後、校歌の二番の歌詞は、民主主義の時代に不適切であるという理由で取り消されました。」と記載され、楽譜と三番までの歌詞が掲載されています。
 80年史の編纂者スタッフは、何故、何時、どのような経過を辿って取り消されたのか、恐らく調査したと思います。
しかし、39年の学校火災により、すべての公文書は焼失しています。
また、県立文書館で公開されている教育関係行政文書も調べたことでしょう。
昭和20〜23年頃奉職していた教員にも聞いたことでしょう。
さらに、他校の学校史の記載等も調査したことでしょう。
それらの結果、GHQはもとより国、県からの行政通知、通達、指示、指導文書、或いは県開催の中学校校長会会議録等で現存する資料の中に、「校歌」についての資料を発見出来なかったのであろうと思われます。
 その結果、80年史は上記のような表現をしたのでしょう。表現が適切かどうかは別として。

 それでは、100年誌刊行委員会はどう対処するか。
現段階においては、あらためて「経過」「決定機関」「決定年月日」等について
調査はしません。
 何故なら、戦後のあの時期に「校歌」が数奇な運命をたどったのは、桐中だけでなく、県下中学校でも恐らく全国の中学でも起きているはずであります。
その時代的背景の基本的ことが把握されていれば、充分であると考えます。
 さらに、具体的に経過、決定 日時等はっきりとしたところで、当時の学校の流れを際だたせることにもならないし、他の諸事項を触れることにより充分当時の学校の状況を説明できるからであります。
 もう一つ付け加えれば、校歌についての調査に割く労力、時間は、既に最低限費やしており、これ以上必要はないと考えるからです。
 あとは、今後 様々な調査や聞きとりなどの際に、うっかりすると新事実がでてくるかも知れません。それを少しばかり期待してます。
 以上が、刊行委員会の一委員の見解です。
当然、質問者にとっては不満な回答かも知れませんが、どうぞ、自ら、県立文書館や県立図書館、桐生市立図書館等に通って新資料を発見するなり、当時の関係者から聞き取りして新たな事実を発掘してください。我々も日当、交通費もなく手弁当でやっているのですから、真実追究の情熱さえあれば出来ますよ。
朗報を期待します。

あと「校歌」についての意見が載っていましたが、それらは、刊行委員会として応える事柄ではありません。

 しかし、一同窓生として若干触れましょう。

@「校歌」は、学校で制定している事柄であり、その取り扱いは、一切学校に委ねられていることであります。
  意見・文句があるなら、学校に申しでることでしょう。もちろん学校がどの程度対応にしてくれるかは知りません。
A同窓会という組織は、少なくとも小生が知る限り、学校の教育、教育内容に、組織として意見を言ったり、要求などをしていません。同窓会は、学校からの協力、支援、意見徴集などの要請があれば、それに対応している団体であります。「校歌」について同窓会から学校に意見具申をするようにと、もし考えていれば、基本的に誤っています。
Bですから、「校歌」について意見があれば、同窓会という組織と関係なく
 同窓生の一人としてとか、地域住民で教育に関心を持っているというような立場で、ご自由にやればよいことであります。
「学校において、二番の存在を生徒に知らせろ会」とか
「卒業アルバムに、校歌三番まで記載させる会」とか
「二番の歌詞の廃止宣言をさせる会」とか
「新しい校歌を作る会」とか作って、得意のパソコンを
使って、それこそ世界中から、全国から賛同者を募り、署名簿も積み上げ
学校に乗り込んでみたらどうでしょうか。まあ少なくとも過半数以上の一万数千人くらいの署名を集めてね。
同窓会という組織は、学校に、ああせいこうせいという組織ではないと小生は理解しています。

C「墓」がどうのこうのと言っていますが、同じことで、ご自由にやってください。
将来桐生の名所となることを祈っています。

 ただし、質問者自身は、自らの主張に酔って英雄気取りかも知れませんが、
現在でも二番の歌詞も自分達にとっては大切な「校歌」であると思い、大切にしている同窓生が、恐らく千数百人いると思います。その大先輩達のことを考えたことがあるのかどうか、実に軽率でいいかげんな発言であります。
 もうすでにパソコン上で発言しているだけで、顰蹙をかっているでしょうが、幸いにパソコンを見ている大先輩達がほとんどいないだけであります。
それにしても、なんと言っても自分達が今でも歌っているにも拘わらず、その歌の廃止宣言が出されたり、なおかつその歌の墓場が、しかも、高校時代に歌ったこともない、二番の歌詞とともに苦難の高校生活を歩んだことでもない後輩によって作られてしまうとしたら、恐らく堪ったものではないでしょうね。

D何年何月何日 何々会議で 二番を歌わないことに決めた、という具体的なことが分からなくとも、学校は、現状の校歌を二節としているのです。それで我々普通の平凡な同窓生は充分であります。
 そして、二番の歌詞を歌って学校生活を送ってきた大先輩達が、それぞれのクラス会や同窓会などで、大いに歌うことに、何ら反対はしません。
また、その大先輩達が、二番を歌わなかった後輩達に、「けしからん!歌え」と怒ったことも、鉄拳制裁を加えたことも、恐らくないでしょう。一人一人が自分の心の中に、自分が中学、高校時代に生きた学校生活そして校歌を持っているのであります。だが、現在、学校に対して、こうしろああしろということは、ほとんどの同窓生が持ってはいないと小生は思います。

しかし、何とかしたいと言う考えや行動をとる人が出てくるのを、抑えるつもりも有りませんし、抑えることも出来ませんから、どうぞご自由にとしか言いようがありません。どのくらい仲間が集まり、何がどのように実現するか、見物することにいたしましょう。それが、喜劇となるか悲劇となるか、あるいは茶番劇となるか、ハッピーエンドになるか、なかなか見物であります。
  これだけ、激しくいろいろとパソコンの画面上で主張しているわけですから、何もしないということではすまないでしょう。パソコンという檻の中で吠えているうちは、たいしたこともないでしょうが、一歩檻から出て具体的に動き始めれば、何かと大変なことにも遭遇するかも知れませんが、
 まあ、張り切ってやってくださいと、月並みの激励は先輩としてしますが、
 小生は、「校歌」に関して、質問者に協力する考えは全くないことを、誤解されると困りますから、ここに述べておきます。


 こうして回答や一意見を書いているうちに感じたことを追加します。

こんな世の中になっているなら、小生も早速電気屋に頼んでパソコンを購入し、ネットとやらを勉強しなければならない。
そして、就寝時間の午後9時直前に、同窓会の掲示板とか質問箱とかを見て
「今日は、何も質問も批判らしきものもなく、良かった良かった」と胸をなで降ろし、熟睡する。朝午前6時に起床したら、まずは掲示板とか質問箱をみて、「夜中の間に、特にご批判等もないな〜。今日一日穏やかに老後の一日を過ごせるな〜」と、煩わしいことも心配することもなく、一日の生活にスタートする。
このようにしなければ、うかうか生きていられないのかもしれない。
いつ、何が、パソコンに書き込まれ、こちらが、返答でもしないでいれば、奴は、逃げてる、やましいところが有るに違いない、隠蔽しているに違いないと思われてしまうかもしれない。もちろんそんなことは、勝手に思わせておけば良いのだけどね。
という感慨が起きています。
もちろん、檻の中からのピーピー鳴いている高草木誠様、お一人様のために大枚をはたいてパソコンを購入するつもりは有りませんし、その義務もありません。
 いままで通り、同窓会の係りの方の手を煩わせることになりまが、連絡をいただき、回答を書き、30分も自動車を運転し、同窓会に原稿をお願いし、―我が家はFAXもありませんからーまた自宅に戻ってくるということで対応していきます。
しかし、今回は長々と「弁解」「陳述」をさせて頂きましたが、今後は、「善処する」「検討する」「既に調査済み」「検討に値しない」「回答の必要なし」「ご自由に」「ご勝手に」等々、極めて簡潔に回答をいたします。
もちろん、質問者の真意が充分くみ取れるご質問に関しては、真摯に回答いたします。今まで一年あまり、電話やお手紙で沢山の質問やなにやら、いただきましたが、実に心暖まる、気配りのあるご質問やご意見で、ついつい話が弾み長電話になりました。
 しかし、今回はじめてパソコン上からの質問、意見は、といっても高草木誠氏ひとりで有りますが、極めてその真意が受け止めにくいというところに、即ち、文章で物事を表現しお互いに伝えあうということは、難しい面もあると思います。
 ですが、今後も高草木氏に関しては、すべてパソコン上で行います。電話その他の方法で他の方々からは見えない、聞こえない手段は選びません。すべて文章として証拠を残していきたいと強く思います。
 以上のように考えます。
このような考えの持ち主が、刊行委員であるのでは、誠にけしからん とお思いの方は、どうぞ同窓会臨時総会でも開く手続きやら運動をして、「木本富雄 罷免要求」でも出してやって下さい。同窓会活動が極めて活発になって喜ばしいことかも知れません。

 最後に、いろいろお手を煩わせてしまった同窓会の係りの方に厚く御礼申し上げます。


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